では、英会話はどうなのか (続き)

前回の書きさしの続き。

次に個性の問題。

    よく言われるように、会話は単なる発話内容そのものに含まれる情報を信号のように相手に伝えることが目的ではないし、それでは (目的が達成されないどころか) 楽しくすらない。

    声、間、速度、言い淀み、強弱、アクセント、語彙の選び方、(左記や、話し手の表情や身振り手振りを通じて伝わる) 感情、すべてが会話の重要な一部でありそして醍醐味だ。

    AI同時通訳がこれらを正確にトレースできるとは思えない。

    例えば (相当デフォルメした場面を考えると) 商談の場で、日本語で、ちょっと硬い表情で、話者がそこまでポジティブではないトーンで、「前向きに検討させていただきますね」「またご連絡します」と言ったとき、AI がそのニュアンス (言葉の額面だけから伝わる、この文脈では、言葉の額面以上に重要な真意) を正確に伝えられるだろうか。VIVANT のドラムは、(2を見ようとしたところ話についていけなさ過ぎて1から見返しているので、2ではどんな振る舞いをしているのかわからないが、少なくとも1をベースにすると) 終始ポジティブでニュアンスのない発言に終始しているので問題とならないが、ドラムがより機微のあることを言い出したとき、あのSiri みたいな声がモノトーンで読み上げるだけで彼の真意は常に伝わるだろうか。

    また、英語を話すときには、(特に非ネイティブにとっては) 言葉の不完全さやアクセントがその人にとっての (良くも悪くも) アイデンティティとなる。

    ネトフリのMaster of Noneでは主人公の父は相当に強いインドなまりの英語を話しているが、このインドなまりこそが、彼がインドからの移民一世として、貧困生活のなかで医学部進学費用を懸命に稼ぎ医師となり、身一つで渡米して医師としてのキャリアを築き、主人公である我が子にニューヨークマンハッタンでの今の不自由なき生活を与えた、という彼のかっこいい生き様の全てを表している。逆に主人公は、米国で生まれ育っているので完璧な米国英語が話せるが、俳優として活動する中でインド人タクシードライバー役のオーディションの際に「インドなまりをやってくれないか」と演出家に指示されて、「私はインドなまりは (できるけど) やりたくありません」と断ってオーディションに落ちたりしている。

    私も日本人や色々な国の人が話す英語のアクセントが好きだ (よくいじられているカリフォルニアなまりなど、ネイティブのなまりも好きだ)。ヨーロッパ人のドイツ語やスペイン語、フランス語といった母語の影響を受けた発音を聞くと、「この人は〇〇出身なのかな」とかその人の出自に思いを馳せられて楽しい。日本人が話す英語も、ネイティブのような発音であればもちろん「帰国子女かな」と推測できたり、逆にものすごく流ちょうだけどネイティブ級ではないな、となればそれはつまりその人が死ぬ気で英語を勉強してきた証で、心からリスペクトである。面白いのが、英会話だからと言って「英語がうまければいいわけではない」という点だ。私の尊敬する (営業上手な) ある弁護士は、率直に言って英語はド下手だが (大変失礼)、ユーモアと勢いで相手を笑わせている (そこまで極端な例は多くはないだろうがそれでクライアントの心を掴めているのだから大したものだ。)。会話が単なる情報伝達ではなく、人となりも伝える手段である以上、こういった現象も当然起きうる。

    そしてインターフェースの問題。というか時間差の問題。

    『会話の0.2秒を言語学する』という (ゆる言語学ラジオでおなじみ) 水野氏の著書があるが、会話では「間 (ま)」が極めて大事だ。この本では、会話におけるturn-taking (話者交替) はなんと平均0.2秒で行われている、という驚愕の事実 (とその言語学的角度からの分析) が記されているが、皆さんも普段の生活を思い起こしてみてほしいし、今日家族や友達と話すときに意識してみてほしい。確かに話者交替は一瞬だ。

    「エレベーターで一言話す」「会議開始前に雑談する」「相手の冗談に被せて返す」「会食で4人が同時に話す」

    こういったさりげない瞬発的な会話は重要だ。

    「この人、会話の間がちょっと変だから、話してると変な緊張感があって疲れるんだよな」みたいなことを誰かに感じたことはないだろうか。「ウェブ会議だとみんなが同時に話せないから議論が盛り上がらないんだよな (だからブレストとかは対面だな)」と感じたことはないだろうか。

    リアルタイムAI通訳とはいえ、必ず自分が発話した後に、数秒置いてAIが喋るのだろう。

    そんなのはどう考えたって不自然だし浮いている。そんなのでプレゼンスが発揮できるわけがないだろう。

    もちろんその人が、その場にいる人間の中でも地位が高くて、誰もがその人が話す出すと静かになって発言に耳を傾ける、という人であれば、間とかは関係ないので問題ないかもしれない。

    だがそういった特別扱いもなく、大人数がいる場で、それこそ0.2秒の隙をついて、なんなら前の発言者に思い切って被せて話し始めるくらいの勢いで意見を言わなければ自分の発言は聞いてもらえない、というような戦場に近い状況で、悠長にリアルタイム通訳なんて使って話していたら呆れられるだろう。結局、自分だけ全体の会話のペースを崩すのが怖くて、発言できなくなってしまうのではないか。

    個性の問題ともかぶるが、やはり会話は (言語問わず) 上手さ (だけ) ではない。その場の空気を読んで、「ここだ!」というタイミングで、不完全かもしれないし、文法もおかしくて語彙の選択も適切じゃないかもしれないけど、自分が言いたいことを全力で刺し込む。そして「たしかにそうかも」と感心してもらったり「それは面白いね」と笑ってもらったりする。ビジネスでもプライベートでも同じことだろう。

    最後に、矜持の問題だが、これは文字通りの話だし、また私のような英語大好き人間が一体どんなことを言いたいかはおそらく伝わっていると思われるため皆までは言わない。

    ただ一言だけ言うと、私は (自分が英語に対して人よりも特別なこだわりを持っていることは自覚しているので、全員が全員そう思うわけじゃないことも十分によくわかっているが) 自分の言葉で英語を話したいし、仮に精度100% (精度の問題解消)、個性100% (個性の問題解消)、完全リアルタイム (どういう仕組みかわかんないがインターフェースの問題解消)のスーパーAI翻訳機が、この世で私だけに利用できるようになったとしても、それを使って英語を話したいとは一ミリも思わない。

    (私が比べるのはおこがましいが) プロの100メートル走者だって「あなただけ↓のロボットにおんぶしてもらって走っていいですよ (それで大会に出ることを認めますよ)」と言われたって、そんなのは絶対に嫌だろう。

      (写真はこちらの記事から引用)

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