久々の投稿。実に2年半ぶりである。
この間、丸3年間、私は日本銀行に出向しており、そこで中央銀行デジタル通貨(CBDC、日本的には「デジタル円」)の法的検討に関わっていた。これに関しては所属する法律事務所でブログを掲載しているのでご興味ある方は是非(なにぶん新物なので大衆に響いていないが、たまに一部の方に刺さってはいるようである)。
さて、私は英語が大好きで、実は法律の勉強よりも長く英語の勉強をし続けている。
思えば高校生のときに英語の魅力に魅せられて、英語の先生になることを志し、教育学部に進み、英語の教員免許をとり、その後紆余曲折があって、大学卒業と同時に別の大学に再入学をした後、弁護士を目指して法律の勉強を始めることになるのだが(この二転三転する方向転換の経緯は、飲み会では我ながら鉄板のネタであるが、素面でパソコンに打ち込むのはややキツいものがあるので割愛する。ただ、雰囲気までに、小説家を目指した時期と、極めて短期間に結婚と離婚が行われた事実があった点だけ言及しておく)、学校の先生という夢から方向転換をした後も、今の今まで、英語の勉強だけは一貫して続けてきている。
もちろん、今となっては弁護士としての仕事にも活用できるという実利はあるが、それ以前に、英語という言語自体が好きなのである。
この英語に対する無償の愛を極めて的確に代弁してくださっているのが、国連英検特A級2023年度第1回合格者である小山 輝さんの合格体験記にある以下の一節である(どこから引用しているんだよ、という感じではあるが、一時期、国連英検特A級合格者の体験記を楽しくてひたすら読み漁っていたことがある)。
「しばらく結果が出ず、努力が報われないという悲しい気持ちもありましたが、根本は英語に魅力され、多量の生きた英語に触れ、聴き、書くこと、そして声に出して読むことに深い喜びを感じて学習を継続することができました。どの言語も古くから異国の地でコミュニケーションに使われ、時代の流れと共に少しずつ変化しています。そこには風土、文化、歴史的な背景があるからこそ、英文それぞれに含まれる視覚的・聴覚的な美しさがあり、学びの過程に奥深さがあるのだと思います。」
「それな…」である。
(そもそも小山さんの英語力ははるかに私の上だと思うけれども、)私も英語を読んでいると「そんなうまい表現があったのか」と唸ったり、非ネイティブ話者が母語訛りの味のあるアクセントで堂々と話しているのを聴いて励まされたりすることがあるが、英語ほど、言語としても学問としても、多様で、奥が深くて、常に変わっていて、人それぞれにこだわりや好み、クセがあって(それら全てが個性として受け入れられていて)、そして世界の人たちを繋ぐツールとしても機能する実用的なものはないと思う。
そんな私の英語力は、「好きこそ物の上手なれ」の一歩手前といったところで、(これも英語好きで英語をたくさん勉強している日本人にありがちだが)一般と比べると上級者だが、会話になると帰国子女には叶わない、というレベルである。
一応、18歳のときに英検一級を取得しているが、二次試験の面接試験では、与えられたテーマに対して2分間の即興スピーチを行うべきところを1分間余らせてしまう致命的ミスを犯してしまったものの、お情けか、新潟県で受験をした地の利か(出身地だからこそ言えるが、少なくとも当時の新潟は学力レベルが全国と比べても低く、面接のような相対評価になりやすいと思われる試験では、「新潟の方が受かり易かった」というのは、あながちあり得ない話ではないと思っている。実際、同じタイミングで東京で二次試験を受けた、私よりも会話力のある知人は、不合格だった)、ギリギリ合格するのがやっと、TOEICも18歳のときに一度だけ受験して945点(満点をとれないところが未熟である)、TOEFLは受けたことがない(井の中の蛙である)、といういかにも「一般以上、帰国未満」な出来栄えである。
そんな私の目下の目標は、カリフォルニア州司法試験に合格すること。
留学はしていないが(留学よりも、いつか海外で働きたい夢がある。学びと遊びよりも、仕事のために海外に住みたい)、外国人法曹資格で受験資格が得られるので、来年2月に初受験をする予定で、現在追い込みをかけている。
無事に合格が出来たら、合格体験記的なものをここに書きたいと思う(そしてそのときにもまた、法律よりも英語への愛を語ろうと思う)。
それでは、日課のDMM英会話の時間が来たので、久々のブログはこの辺にする。
ちなみに最近のいつもの先生は、たまたま同い年のフィリピン人女性で、ロースクールに通っているということなので、それぞれの国の法律の話ができるので楽しい。私のことを「Attorney Taka」と呼んでリスペクトしてくれているが、英会話に関してあちらが先生、法律に関してはこちらが先生、という微妙なねじれが生じて若干気まずいことがある。