不要で、しかも有害だったり危険なもの

自分は(キャラに見合わず)バイクに乗っている。

実物そのものではないが、このようなバイクである(画像はホンダのウェブサイトより)。

 

ホーネット

 

約5年前に免許を取得したと思うのだが、ここ数年は色々と忙しくて頻繁には乗れておらず、駐車場代を含む維持費や、そもそも事故でもしたら大変というリスクを考えると、いっそのこと手放してしまうのが最も合理的な選択であることはよくわかっている。

実際に、そうすることを真剣に検討したことも何度かある。

しかしそのたびに思いとどまっているのだが、それは、「必要ではないから」「危ないから」といった理由でバイクを手放してしまったら、どこか人として大切な何かを失ってしまうような気がして怖かったからだ。

 

以前に何かで、人生には、不要で、しかも有害だったり危険なものが沢山あるのだが、そういったものを選択的に人生に取り入れて愉しんでいくことこそが、人生の贅沢であり、その人の人生をその人らしくするために必要なものである、といったような価値観について読んだことがあるのだが、それは今でも自分の中に一つの考え方として根付いている。

 

ちなみに、(これもキャラに見合わず)以前、喫煙者だったときにも、喫煙という不合理で有害な習慣について同じ捉え方をしていたが、半年ほど前から禁煙して以来、それは単に依存症になっていただけだと悟った(なお、今でも毎日「吸いたい」気持ちが生まれており、「覚醒剤の依存症って、これの何倍も辛いのだろうから、覚醒剤をやめることの大変さというのは、ちょっと想像ができないな」なんて思ったりしている)。

 

もちろん、守るべきもの、目指すべきもののために、自分の人生にとって必要なもの、有益なものになるべく時間を割いていきたいと思うが、これからも、「不要で、しかも有害だったり危険なもの」を自分らしさの証明として大切にしていきたいとも思う。

 

なお、最近は週に一回、あるクライアントの会社に駐在をしているのだが、会社まで電車で行くと満員電車が辛く耐えられないこともあって、バイクで通勤をするようにしているので、最低でも週に一回バイクに乗る機会が得られてうれしい。


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