面白い法律文書を書くことができたら

もともと小説家になりたいと思っていただけあって(今でもその夢は忘れていませんが)、私は文章を書くのが超好きです。

 

だから、弁護士として仕事をしているなかでも、自分の文章力を褒められたときが一番うれしい。

ちなみに今までで一番うれしかった褒め言葉は、私が書いた訴訟の主張書面に対しての、

 

「先生は、龍のような文章を書くね」

 

という一言でした。

先輩の一言なので、若干いじりも入っていたと思いますが、論理的な正確性だけでなく、迫力というか「読み手に迫る力」みたいなものを評価していただけたものと勝手に理解し、今でも時折思い出す非常にうれしいお言葉でした(こう言ってくれた当の先輩はすでにこのことを覚えていないと思いますが(笑))。

 

例えば、小説の目的というのは基本的に読み手を楽しませること(感動させたり、怖がらせたり)だと思います。

これに対して、法律家の書く文章(いわゆる法律文書)の目的というのは、人に知識を与えたり、人を論理的に説得することにあると思いますので、ロジックのわかりやすさや正しさが前面に押し出されるべきですよね。

 

しかし一方で、法律文書の読み手もロボットではなく、人間なので、「こういう正しいことを正しく書いてますみたいな遊び0%の文章を読むと一瞬で眠くなるんだよな」とか、もっと言えば「こんな無機質な仕事飽きてきたな~」とか思いながら法律文書を読んでいるかもしれません。

そういう人も一定数いると思えば、「正しいけど、ユーモアや、あえて表現にクセを持たせたようなユニークな言い方」をすることだって、割と重要なのではないかなと密かに思っています(まあ、そういうのが逆に鼻についてしまう読み手も相当数いると思うので、完全にモロハだとは思うのですが……)。

同じ、知識を10だけ与える文章を書くべき場面においても、自分は知識を10与えつつ、「え、なんでこんなことあえて書いたの?」「なんでこんな言い回しする必要ある?」と、良い意味で引っ掛かりのある法律文書を書きたい。

それで、「川上の法律文書は(正しいだけじゃなくて)面白い」と思ってもらいたい。

法律という仕事をしているけれども、仕事に疲れたり、ひょっとしたら「法律」という堅苦しいものを使った仕事に飽き飽きしている法律家や法務部員の人に「川上のなら、読んでいて楽しい」と思わせたい。

それが私の日々の仕事のささやかな狙いであり、モチベーションであります。


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